スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
----------
ゆっくりと落ちていくコロッケ
 社会人になってから初めて1人暮らしをした。実家で親と過ごしていたときには気づかなかったことがたくさんでてくる。
 誰かが買ってこないと、少なくなってきたシャンプーは補充されない。いつの間にか無くなっている歯磨き粉は、どっかから飛んでこない。少しずつ積み重なっていくホコリは、誰かが、拭いてあげないと部屋全体の空気が悪くなる。

「ご飯まだ?」
と言ったら自然とフルーツもついた、豪華な手作り料理が出てくることはない。誰かが作らないと食料は出てこないし、材料買ってっこないと何も始まらない。
 
 1人暮らしを始めて1年ちょっと経つが、1回もガスをひねったことがないし、卵も割ったことがない。電子レンジもないし、炊飯器もない。全て外食か、弁当、頑張ってもパンに、豆腐、納豆、キャベツ、ゼリーと調理を伴わない定食だ。
 
 料理をしていないとはいえ、自分のお金で、自分が食べるものを買い始めてから、食品に対する意識は少しだけれども、変わってきている気がする。
 
 この前初めて50%オフで安いという理由で、5個入りのコロッケを購入した。でもお腹が膨れて、5個目を食べることができずに捨ててしまった。お金がもったいないという思いは全くあふれ出ず、今までに経験したことがない感情が込み上げてきた。
 ごみ箱にコロッケが落ちるという、ニュートンが木からりんごを落ちるのを見たときの、物理現象と同じことだが、落ちていく時間はスローモーションのように流れていた。
 
 小さいときに、料理を作ってくれた親のご飯を「お腹がいっぱい」という理由で残していて、捨てるはめになったことが何度もあるかもしれない。そのたびに親はそういう経験をしてきたのかと思うと心苦しくなった。
 
 残ってしまったものは捨てるもの、と簡単に割り切ったら楽なのかもしれない。みんな捨てているし、誰だって残すときは残すし。でもそう簡単に割り切れるほど、人間の心はできていない。
 
 先日某動画サイトで情熱大陸を視聴した。鶏を卵から育てて、成長させて、自ら解体し食べるという授業を行う先生に密着したものだ。生徒たちはその授業でご飯をいただく”ということ、そして生きることを勉強する。
 
 命を育てて、奪って、加工して、様々な人の思いをのせて、食卓に食事がやってくる。そのおかげでご飯が食べられているということを意識していきたい。ちょっと意識するだけで、食卓に並べられたご飯が違って見えてくるはずだ。


 
スポンサーサイト
別窓 | エッセイ | コメント:0 | トラックバック:0
201307272359
<<ビューティフルピープル・パーフェクトワールド | 本を肴に酒を飲む | ネームバリューの蜜と毒>>
この記事のコメント:
COMMENT
コメントの投稿

管理者だけに閲覧

この記事のトラックバック:
トラックバック URL

FC2ブログユーザー専用トラックバック URL


TRACKBACK
| 本を肴に酒を飲む |
copyright © 2006 本を肴に酒を飲む all rights reserved. template by [ALT -DESIGN@clip].
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。